2006年8月23日水曜日

波に。

夏ですね。

目まぐるしく、たくさんの波がやってきます。
沖に流されないようにするだけで、いっぱいいっぱい。
だって私、泳げないから、
流されたら溺れてしまう。

絶対、溺れてしまう。

今日は心がガサガサする出来事があって、
本当にどうしようもないくらい些細なことなのだけれど、
そんな些細なことでガサガサしてしまう自分に自己嫌悪。
ガサガサを隠そうと取り繕ったら、空回った。
溺れる方が、まだ良いかもしれない。

2006年8月15日火曜日

記憶喪失。

飲みすぎて、記憶をなくすという大失態。

いや、もう本当にごめんなさい。

記憶がない間って、いったい何をしていたのかと内心びくびくなのだけれど、
どうやら私はひたすらしゃべっていたらしい。
飼っている猫の家系図から、
持っていた鏡を見せながら初めてディズニーシーに行った話から、
何故フランス語が好きなのかとか、
付けていたアクセサリーの由来から(しかもこの話は2回したらしい・・・)
もうとりとめのないことを延々と話していたようです。

・・・本人、まったく覚えていません。
いや、ほんと。
なんで私そんなこと話したの?!と不思議がいっぱい。

しかも一緒に同じように飲んでいたはずなのに、
根気強く聞き手に徹してくれたヒトは何故か全部ちゃんと覚えていたので、
余計恥ずかしい私。
ちゃんと猫の家系図も間違いなく復唱していました。

2006年8月4日金曜日

真面目な話。

今、世間を騒がしている『摂理』のニュース。
教祖が国際指名手配をされてようやくマスコミが取り上げるようになったけれど、私は憤りを感じている。
遅いよ、と。

宗教の問題。
思想の問題。
批判するのには考慮しなければならないこともたくさんあるとわかっている上で、あえて言いたい。

私がその団体の名前を知ったのは、今から5年近く前。
大切な大切な友が、取り込まれていると気付いたのがきっかけだった。
大学にも相談をした。
サークルのふりをして勧誘をしている宗教団体がある、と。
相談窓口を紹介してもらい、電話をかけた。
今でも覚えている。
キャンパスの中庭のベンチで、5限が行われている時間帯で閑散としていて、緊張しながら窓口へ電話をかけた。
私が疑心を持つようになった過程、友の言動、知り得る限りの活動内容。
全て告げ終わったときに『摂理』という名前を初めて知った。
電話を切ると同時に、私は寒空の下で長いこと独りで泣いた。
信じたくないものが、確信に変わる辛さを知った。

それからは、無我夢中の闘いで。
ここには書き尽くせないほど。
摂理についても、新興宗教についても、調べられる範囲で得られた情報には片っ端から目を通した。
その頃には既に、教祖による婦女暴行も明らかになってたのに。
信頼出来る、その友の元恋人と大親友と私の3人で奔走した日々。
友を救いたい、その一心だけで動いていた。
友のご両親とも会った、大学にも相談した、恩師にも打ち明けた。
けれども、友を救いだすことは出来なかった。
携帯の番号も変えられ、連絡を取ることも出来なくなった。
その後の消息は、わからない。
何も知らない他の友達から、ひょっこりその友の話題が出たりすると、内心ドキッとして辛くなる。

信じる者は救われる
それは信じるという行為が自発的だったときにしか適応されない。
マインドコントロールされた状態で植え付けられた概念は、救うどころかその人の本質を手の届かないところまで追いやってしまう。

ニュースを観るたび、悲しくなる。
友は今、どこで何しているのだろう。

2006年8月1日火曜日

日向ぼっこ。

私のパソ子のキーボードはコードレスなのですが、
電池がそろそろ切れるようで、現在キーを叩くたびにピーピー鳴っております。
明日、電池買ってこなきゃ。

名実共に、本日で退社。
ということで、入店していたお店の入店証を返却しに行ってきました。
お得満載だった入店証、別名『従業員割引カード』
すごーく恩恵にあやかっていたなぁ。
いや、むしろ「割引で買えるんだから!」って、バカスカ使い過ぎていたかも。
これからは、考えて買わないと。
試着とか、ちゃんとしなきゃね。
値札とか、ちゃんと見なきゃね。

お店を出てからまだ日も明るかったので、九段下へ足を伸ばして、久しぶりに北の丸公園でのんびりしました。
あまりに気持ち良くて、鼻歌のつもりが気付いたら普通に歌ってた。

−満天の空に君の声が
 響いてもいいような綺麗な夜
 悲しみが悲しみで終わらぬよう
 せめて地球は周ってみせた−

聴こえる範囲に誰もいなかったから、よしとしよう。