2006年8月4日金曜日

真面目な話。

今、世間を騒がしている『摂理』のニュース。
教祖が国際指名手配をされてようやくマスコミが取り上げるようになったけれど、私は憤りを感じている。
遅いよ、と。

宗教の問題。
思想の問題。
批判するのには考慮しなければならないこともたくさんあるとわかっている上で、あえて言いたい。

私がその団体の名前を知ったのは、今から5年近く前。
大切な大切な友が、取り込まれていると気付いたのがきっかけだった。
大学にも相談をした。
サークルのふりをして勧誘をしている宗教団体がある、と。
相談窓口を紹介してもらい、電話をかけた。
今でも覚えている。
キャンパスの中庭のベンチで、5限が行われている時間帯で閑散としていて、緊張しながら窓口へ電話をかけた。
私が疑心を持つようになった過程、友の言動、知り得る限りの活動内容。
全て告げ終わったときに『摂理』という名前を初めて知った。
電話を切ると同時に、私は寒空の下で長いこと独りで泣いた。
信じたくないものが、確信に変わる辛さを知った。

それからは、無我夢中の闘いで。
ここには書き尽くせないほど。
摂理についても、新興宗教についても、調べられる範囲で得られた情報には片っ端から目を通した。
その頃には既に、教祖による婦女暴行も明らかになってたのに。
信頼出来る、その友の元恋人と大親友と私の3人で奔走した日々。
友を救いたい、その一心だけで動いていた。
友のご両親とも会った、大学にも相談した、恩師にも打ち明けた。
けれども、友を救いだすことは出来なかった。
携帯の番号も変えられ、連絡を取ることも出来なくなった。
その後の消息は、わからない。
何も知らない他の友達から、ひょっこりその友の話題が出たりすると、内心ドキッとして辛くなる。

信じる者は救われる
それは信じるという行為が自発的だったときにしか適応されない。
マインドコントロールされた状態で植え付けられた概念は、救うどころかその人の本質を手の届かないところまで追いやってしまう。

ニュースを観るたび、悲しくなる。
友は今、どこで何しているのだろう。